06 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 08

愛犬&山旅生活 with EOS

愛機 Canon EOS 5D MarkⅢ、kissX7で、我が家の愛犬や山旅風景を撮影する、写真ブログです。

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

スポンサー広告  /  TB: --  /  CM: --

城跡巡り ~小倉城編~ 

今回訪ねたのは、埼玉県ときがわ町にある
小倉城跡です。

20170121_Googleearth_02.jpg

<20170121_map_IMG_3444_444.jpg

 ここは槻川が大きく湾曲する場所に張り出す
丘陵上に構築されており、まさに天然の要害
といえます。
また、東秩父の大河原谷に向かう道の分岐点
にあることから、交通の監視や遮断も大きな
役割であった可能性があります。
 この城の最大の特徴は、戦国時代の関東の
城ではまれな石垣を随所に築いていることです。
また遺構の保存状態が良好です。
城主は後北条氏の重臣であった遠山右衛門
大夫光影とする説と松山城主上田氏とする説
とがあります。
(杉山城跡案内冊子より引用)

20170121_IMG_3441_444.jpg
山頂に到着したのは夜明け前でした。

20170121_IMG_3445_444.jpg
「郭1」部分は木が伐採されて、起伏が
わかる状態となっています。

20170121_Minami_IMG_3451_444.jpg
南虎口(みなみこぐち)
郭1の南側出入り口で、石垣が確認されて
いるとのことです。

20170121_Kita_IMG_3448_444.jpg
北虎口
郭1の北側出入り口で、発掘調査により、
石垣と礎石が発見され、ここに門が構えら
れていたことがわかったそうです。

城跡を訪ねる山旅、機会があればもう少し
ほかの地域も行ってみたいです。

Posted on 2017/01/21 Sat. 17:02 [edit]

その他  /  TB: 0  /  CM: 0

百庚申(ひゃくこうしん) 

今回は城跡ではなく、信仰の塔を訪ねた山旅です。

場所は埼玉県小川町の浅間山(通称・仙元山)
で、ここ数年初日の出を見ている山でもあります。
(写真はXPERIA Z5で撮影)

20170114_DSC_0203_443.jpg
山頂近くにある庚申塔

以下現地の案内板より引用

百庚申(ひゃくこうしん)

 小川町大字青山字浅間山二五一九

 この百庚申は、万延元年(一八六〇)十二月
庚申日、青山村の人々が中心となって造立した
もので、奉納者は地元青山村を始めとして十二
か村に及んでいます。
 庚申信仰は、干支で六〇年、あるいは六〇日
ごとの「庚申」に行われる祭りです。中国の道教に
基づくとされ、「人間の体に住むという三尸虫
(さんしちゅう)がこの日、眠っている間に抜け出
して天帝に罪過を告げ、命を縮める。」というので、
徹夜して心身を慎み、健康長寿を願う信仰です。

 わが国では平安時代の初め、貴族社会で始まり、
庶民の間には室町時代に広まりました。供養塔の
造立は室町末期から流行し、江戸時代には作神・
寒(ふせ)ぎの神・治病の神等にもなり盛行しました。
庚申塔は普通は一基ですが百庚申、千庚申と
沢山の信者に呼びかけて造立することもあります。
小川町地内には、大字下横田にも嘉永二年
(一八四九)に造られた百庚申があり、この地方で
庚申信仰が盛んであったことがうかがえます。

            平成五年三月二十五日
               小  川  町
               小川町教育委員会

20170114_DSC_0199_443.jpg
この日は強烈な冬型の天気で、夜中には
雪が舞ったらしく、道はうっすら雪化粧と
なっていました。

20170114_DSC_0201_443.jpg
仙元山山頂からの小川の街
建物の屋根が白くなっていました。

20170114_DSC_0198_443.jpg
初日の出スポットからの日の出
空には適度に雲があり、変化のある「画」
にできたように思います。

Posted on 2017/01/14 Sat. 13:29 [edit]

その他  /  TB: 0  /  CM: 0

城跡巡り ~菅谷館跡~ 

これまで四津山城、杉山城、そして青山城と、
山城跡を巡ってきましたが、今回は平地に
築かれた平城で、埼玉県嵐山町にある
菅谷館跡(すがや・やかたあと)です。

以下、「県立嵐山史跡の博物館」HPより引用


菅谷館跡は、埼玉県のほぼ中央、比企郡嵐山町大字
菅谷(字城)757番地にあり、約13万平方メートル
(東京ドーム約3個分)に及ぶ広大な面積を持つ複郭式
の平城です。館跡は、東武東上線の武蔵嵐山
(むさしらんざん)駅から南西方向約1キロメートル
ほどの台地上に築かれています。館跡のある台地の
南側は、都幾川の流れにより浸食されて切り立った
崖となり、東側と西側には、台地に直行する谷が
幾筋も形成されており、館跡は、これらの地形を
巧みに利用して、複雑な縄張りを構成しています。


 館跡の歴史に目を向けると、縄文・弥生時代に
はじまり、古墳時代、奈良、平安、および鎌倉・
室町・戦国の各時代に至るまで、数多くの遺跡群が
複合、点在してみることができます。また、これらの
遺跡群の中を古代から中世にかけて上野国と武蔵
国を結ぶ古道、通称「鎌倉街道」が残されています。
この街道は国分寺瓦や須恵器などを運んだ道とし
て、あるいは、武蔵武士たちが往来した道として
利用されてきました。


 街道に沿う地域には、平安時代から戦国時代に
かけての寺院や中世寺院跡、板碑(板石塔婆)、
城館跡、古戦場などさまざまの史跡や文化財が集
中しており、中世において、多くのできごとが菅谷
館跡を中心にして展開されてきたことをうかがい
知ることができます。


 なかでも城館跡は松山城、鉢形城をはじめとして
30余もの城館跡が築かれている密集地帯です。
これらの城館跡の歴史を見てみると、おおよそ4つ
の時期に分けることができます。第1期は、畠山重
忠などの武蔵武士達が活躍した平安時代から鎌倉
時代にかけての時期で、大蔵館、畠山館、菅谷館
などが築かれました。第2期は、足利基氏などが
精力的に活動した南北朝時代の頃で、足利基氏館
などが築かれました。第3期は、管領上杉氏が内部
争いした1500年頃で、この時代にほとんどの城が
築かれたと考えられます。第4期は、後北条氏が
支配した戦国時代の終り頃で、この時代には城
のほとんどが増改築されたようです。その後、秀吉
の後北条氏攻め(小田原攻め)により戦国時代は
終わり、城郭は順次取り壊されていったと思われます。

20170107_IMG_3415_441.jpg
本郭(左側)と二ノ郭(右側)

201470107_IMG_3416_441.jpg
本郭と二ノ郭(上記の反対側)

ここは博物館が隣接していることもあってか、
全体がよく整備されています。
また発掘調査も行われたこともあって、
郭などの形状がはっきりとわかりました。

城跡を巡る旅、郭のそばで数百年もの前に
そこに建てられていたであろう、お城をイメージ
するのが面白くなってきました。

まだまだ城跡を巡る旅は続きます。きっと・・・


Posted on 2017/01/07 Sat. 15:41 [edit]

その他  /  TB: 0  /  CM: 0

城山巡り ~青山城編~ 

鉢形城または松山城への予定を変更し、
埼玉県小川町の青山城跡へ行ってきました。

前回までは鎌倉街道を望む二つの城跡へ
行きましたが、今回はその鎌倉街道から少し
離れ、小川の街を望める標高265mの青山城
です。


以下現地案内標より引用

町指定史跡 青山(割谷)城跡
小川町大字青山立巌2292-2外
平成4年3月25日指定
青山(割谷)城跡は、青山と下里の大字境に
位置し、青山側では青山城、下里側では
割谷城と呼ばれています。
城跡は尾根を巧みに利用し、標高265メートル
の山頂部に築かれた本郭を中心に、南西に
二の郭、南東に三の郭を「コ」の字状に配し、
それぞれの郭は深い堀切で画されています。
また、本郭の南東側および二の郭の東側には
帯郭がよく残されています。

本城が築かれた年代については不明な部分
が多いのですが、関八州古戦録には永禄6年
(1536年)松山城へは上田安楽斎、同上野
介朝広を環住なさしめ青山、腰越の両砦と
共に堅固に相守らせとあり、戦国時代、松山
城の支城であったことがわかります。

東2.6キロメートルには小倉城(現玉川村)
があり、北6.0キロメートルには高見城、
西3.4キロメートルには腰越城を臨むことが
できます。また麓を流れる槻川に沿った鎌倉
街道を見下ろす地理的な要所に位置した
城です。
平成4年3月1日
小川町教育委員会


20161224_IMG_3395_438.jpg
ここ数年、初日の出を見ている場所からの
東京方面
スカイツリーがくっきり見えました。

20161224_IMG_3398_438.jpg
仙元山(298.9m)山頂からの小川の街

20161224_IMG_3401_438.jpg
仙元山から青山へ向かう尾根で
日が昇りました。
木々の幹がオレンジ色に染まります。

20161224_IMG_3404_438.jpg

20161224_IMG_3406_438.jpg
城跡は木々が生い茂っているため、
案内によりその形がわかる状況でした。


おまけ
20161224_9W1A3087_438.jpg
座布団の丸い柄に合わせるように
まーるくなっているむくです。
冬場は、熱が逃げにくいこの形で寝ている
ことが多いです。
それにしても、丸の中に丸が丁度よく
おさまったものですね!

Posted on 2016/12/25 Sun. 12:57 [edit]

その他  /  TB: 0  /  CM: 0

山城巡り  ~杉山城編~ 

先週に続き、今回も山城の話題です。

行ったのは埼玉県嵐山町にある
杉山城跡(すぎやまじょうあと)で、
戦国時代の山城跡です。

以下、現地案内板より引用

山の高低差を巧みに利用して十あまり
の郭(くるわ)を理想的に配置しています。
まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい
県内でも屈指の名城と評価されています。
現存する遺構(いこう)の保存状態も非常に
良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって
構成される城構えには当時の高度な築城
技術が偲ばれます。

城の立地については、北方に越畑城
(おっぱたじょう)・高見城と連絡し、西方
全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の
条件を備えています。当時の社会情勢から
判断して、松山城と鉢形城とをつなぐ軍事上
の重要拠点の一つであったと考えられます。
(以下割愛)

20161217_IMG_3367_437.jpg
杉山山頂

20161217_IMG_3375_437.jpg
南斜面
郭の跡がはっきりと見て取れます。

20161217_IMG_3378_437.jpg
東斜面
郭と共に山の高低差が巧みに
利用されているのがわかります。

20161217_IMG_3381_437.jpg
先週訪ねた高見城と共に、鎌倉街道
(送電線下)を見下ろす絶好の立地条件で
あったことがわかります。

戦国時代の山城を訪ねる旅、面白く
なってきました。
次は松山城か、鉢形城に行ってみたいと
思います。

Posted on 2016/12/18 Sun. 00:02 [edit]

その他  /  TB: 0  /  CM: 0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。